POTTIRI'S AUTOBIOGRAPHY

工作やダイエットやITで遊ぶアラフォーエンジニアの自伝ブログです。

地方の中小企業のSEは住むところすら選べないのか

前職の話だが全国を転々としていた時期を思い出したので書き残しておきます。

小さくて不思議な会社

前職の会社の社員数は50人弱、中小・・・なのかな。
小のように入る気がする。
とにかく小さい会社でした。
Sierと呼べるような規模ではありませんでしたね。
営業も1人しかいませんでした。
不思議なルールが多い会社で、給与体系は特に謎でした。 月給が非常に少ない代わりにボーナスが多い、けどそのボーナスもどうやって算出されているのかわからない。
給与面に関しては常に不満を持っていました。

派遣からSES?へ

入社当初は中堅Sierに派遣されていました。
当時「お客さんのところに行くのが一番勉強になる。」と言われたのを覚えています。
今思い出すと自社での教育を放棄してるひどいセリフだなと思います。
数年間派遣で中堅Sierのパッケージを開発し(よくついていけたなと思う)、自社に帰ってもパッケージの保守を請け負ってました。
状況が変わったのがリーマン・ショックあたりからです。
パッケージの保守が終わり、僕は別のプロジェクトに入ることになりました。
僕が入るプロジェクトは作業場所が自社でないっていうか地元でないことが増えていきました。
長期出張の始まりです。
家にいられないのです。
この長期出張というのが曲者で、完全な転勤ではないので引っ越しできないし家族もつれてこられないのです。
作業場の近くにビジネスホテルやレオパレスを家とは別に借りて二重生活を送ることになります。
家に帰れるのは数週間に一度。
これじゃ彼女も作れません。
一言で言うと住所不定なのです。

行った場所

プロジェクト 作業場所 宿泊施設
岐阜 客先のタコ部屋 レオパレス
東京 倉庫 ビジネスホテル
東京 元請けの会議室 レオパレス

これら以外にもいろんなところに行きました。
2番目はひどかったですね。
倉庫は本来人がデスクワークする場所ではありません。
でっかい扉をゴゴゴゴと開けて入ったのを覚えています。
倉庫での作業はとても寒くて悲しかったです。
しかも徹夜が当たり前で、肉体的にもかなりキツかったです。
すごい勢いで鬱になりました。

この頃会社の経営はよくなかったんだと思います。
社長と営業が「仕事の場所はどこでもいい」「社員の生活レベルは下げれない」と言っていました。
この言葉にすごく悲しくなったのを覚えています。
金銭面も大事にしてくれるのはありがたいが、住む場所も生活レベルの一つだろうと。

息子が辞めるきっかけをくれた

実は1番目と2番めのプロジェクトの間に結婚をしてます。
なのに家にいられないので一緒に過ごすことができない。
なかなかひどい目にあっています。
3番目のプロジェクトではあまりにも一緒にいられないので奥さんを内緒で連れてきて生活してましたw
会社的にはNGだったんですけど、もう無視するしかありませんでしたね。
そうこうしてたら奥さんがなんと妊娠。
貴重な二人の時間を有効活用したと思いますw この時、このまま住所不定のまま子供を育てるか思い切って転職するかという選択を迫られました。
悩んだ末僕は転職を選び現在に至ります。
現在は安定して地元で仕事ができ、次なる夢への準備も進められています。

同じ境遇の人へ

当時他県や首都圏に長期出張させるのは地元に仕事がないからだと説明を受けていましたが、いざ転職してみる地元の仕事が溢れるほどありました。
結局のところ前職の会社は地元で仕事を開拓する営業力がなかっただけなのだと思います。
まあ小さかったしね。
同じような境遇にいる方。
世の中はあなたが見える範囲だけではありません。
住所不定では人生計画が狂ってしまいます。
勇気を出して別の場所に行くことをおすすめします。